私自身は、「ツボ?」「気」を皮膚に触れれば感じると前どこかで書いた。
他の鍼灸師から聞いた話、
とあるその辺では有名なベテランの鍼灸師はツボに触れると
ヨダレ(口の中にツバ)が出てくるという人がいるのだそう。
他にも、似た話で、鼻がムズムズするとかそういうの聞いたことあったかな?
<注意:今回の話は、わたし個人の意見、私の独自の意見ってことを忘れないように。、
だから、話はきっと摩訶不思議、
読者は、「あー”気”ってそうなんだ(メモメモ)」なんてもってのほか、
すべてを鵜呑みにしてはいけない、
そういう意見がある人もいるんだなくらいでいいです。>
私はこの話を聞いたときにすごいピンときた。
私はツボ(と思われるところ)に触れると、
目が潤う?視界がはっきりするような感覚があるからだ。
前述の話を聞いたときに、これはそうなのだと認めていいんだなって勝手ながら心に決めました。
そこからもう少し深く考えるようになりました。(暇つぶし程度に)
なんでそんな反応が体にあるのか?
これはあくまでも私の持論ですが。
施術者側の体の弱い部分が、
他人を触れることによって、相互に気の伝導のようなものが行われて
弱い部分に気がめぐり、そこの症状が少し軽減してる時の反応。
施術者も患者に触れる時に気が伝導して、微弱に回復しているというべきか?
ベテランの先生の話で言うと、話的に中高年以上の先生であったと思います。
中高年ってだいたい胃が悪くなっていたりで、
息が臭かったりしますね。(ストレートな表現で失礼しました。)
その口臭の原因でもあるのですが、
唾液が少ない。
そのベテランの鍼灸師の先生は人に触れることによって
自身の弱っている胃腸や唾液の出る関係の気の流れがよくなってるんだと思います。
私自身で言うと、昔から視力が弱いほう(眼鏡をかけるような普通の近眼)で
あとドライアイの傾向にあったりします。
私の場合は人に触れることによって、
自身の弱い部分の目の関係の気の流れがよくなっているだと思う。
・こういう話を鍼灸学校の授業とかで聞いたことがあるかもしれません。
↓
「患者を治療していると、施術者側も不思議と元気になってくる。」
「患者の腰を治療してると、施術者側の腰も楽になる時がある。」
とか。
これは、教科書や誰の鍼灸師もたぶん発言していない事なので
まぁ、こういう意見を持ってる変な人がいるんだな程度でよいです。
ーーーーーーー
上記では、「気」と書きましたが、
私はこれを「気」というべきなのか分からない。
気の概念に似ているけど、気とは違う、「気のようなモノ」かも知れません。
この「気のようなモノ」。(とりえあえず、気としておきます。)
こういったモノを私は、
霊的なものや
超能力的なもの
精霊的なものとか
スピリチュアル的なものと
とらえていません。
まだ解明されていないだけで、
もっと数学的な?科学的な?もっと決まりきったものがあると思ってます。
私自身は、「気」というどこかスピリチュアル?的なものでなくて、
科学的?な「電気」とかに関わるものではないかと思っています。
”電気のようなモノ”です。
(タダの持論ではありますが、こういう話も今後も少しブログにて書いていこうと思ってます。)
こういうのに鍼灸師になって10年以上たってからふと気づきました。
(思いつきましたかな?)
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教科書通りここのドコドコから何寸ここから何寸ときっちりと
ツボを取穴する人はたぶん気を感じていないんだろうと思う。
鍼灸学校に通ってるうちは、教科書通りにツボを取穴するべきです。
しかし、
たぶん、修行先で言われると思います。
「ここから、何寸が〇〇穴っていうのはあくまでも目安で、
実際は、その時々でツボの場所は違う。」
って感じの事を。
(私は、東洋医学系が強めの鍼灸学校・修行先も東洋医学系の治療でしたので、
これはあくまでも東洋医学的考えとなってしまうのかな??)
同じ人でも日々ツボはその時の症状で動いている?って思った方がいいです。
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なんだか、ツボって固形物?のような概念で
一定の場所にとどまってるイメージの人が多いですが、
もっと流動性?変動性?というか、位置はその時々で変わっているものだと思われます。
歴代に残っているツボっていうのは、
先人の人が、後世にでもわかるようにかなりきっちりとした目安を決めているのだと思う。
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ツボって言うのはあくまでも効果が出やすいよっていう目安の点であり、
ツボから外れたと言っても、「効かない」っていうのはまずない。
(患者の満足する・イメージする効果ではないかもしれない。)
下手な鍼灸師でもなりたての鍼灸師でも、ベテランの鍼灸師でも治療が出来るのはそのためだ。
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概念的な面で言うと?
ツボや経絡というのは、
あるようでないようなもの
ないようであるようなもの
って感じで、
あってないようなものだと思う。
ないようなものっていうのは、科学的な面で証明されてないからだ。
証明されたらもっと、病院とかにも普及してますからね。
だからと言って、ないと言ったら違う。
ちゃんと鍼灸を受けて症状がとれる人がたくさんいるからだ。
だからこそ国家資格としてあったりするし?
気に付いても、現在の現段階では解明されていないので
「あるようでないもの・ないようであるもの」かもしれませんね???
なんか私、頭悪いし、
文章が下手でうまく表現できてないかもしれません。
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注意してほしいのは、
鍼灸学校に通ったから、鍼灸師の修業をしたからと言って
気を感じるようになるって訳ではない。
別に寺にこもってとか、山にこもって
毎日太極拳とかをして日々を過ごしたとか一切してない。
わいの場合は、たまたま感じただけや。
(しかも科学的な証拠なくだた自己肯定してるだけやで、
その辺注意しないと痛い目あうで!)
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