どこの業界でもそうなんだろうけど、
目上や成績のいい人のような人たちは、「うまくいってない人は勉強が足りてない。」だってことを言うよね。
これごもっともなんだけど、厳しい現実もあって、個人個人で脳みその限界もあると思ってる。
その「お前らは勉強が足りてないんだ」って言っている人だって、ケンブリッジ大学が東京大学の学生ほどにも頭は良くないことがほとんどだろう。
じゃあその人が勉強が足りないのかって?そうでもないだろうし。
これは、各個人に限界値みたいのがあって、自分自身のある程度の「(とりあえずの)能力の限界」っていうのは自覚するべきかなと思う。
オリンピックだかに出てたんだったか短距離系の陸上選手のT氏だったかが言っていた、骨格とかによって、どんなに努力しても報われない人がいる。これ、すごい残酷で、これめっちゃ厳しい言葉なんだけど、でもホント、オリンピックや世界陸上?ほどに究極に考えるとそうなんだと思う。
私は限界なく勉強してやるんだ!!っていう意思ってすごい大事と思うけど、
自分がどういうレベルにある人間か?ってのを把握することもある程度の年齢になったら必要っていうか、
そっちの方が「お得」な気がする。
男なら筋トレしたことあると思うけど、筋トレの限界値ってなんかある気がする。
男だったら一回はマッチョになろうって筋トレをしたことがあるはず。
でもおおかたの人は、ボディビルやフィジークの大会に出るくらいのイメージするような肉体美になったことはないと思う。
うーん。勉強してないって人だって勉強してるでしょう。結局は。
鍼灸業務で勤務することだって働きながら勉強になるわけだし。
覚えることが遅かったり、理解力が低かったり、ってのもありそうな気がして。
勉強勉強勉強っていわれて、そうだ勉強だなって東京大学を目指してみてください。鍼灸師の学力レベルだと無駄な努力で終わると思うのです。
自分自身に見合った勉強をしないといけないし。
やっぱ生活ってあるから、日々の生活も大事にしないと頭はパンクするし。
でも、その時間さえも削って勉強してた人はそれが後になって大きな成果を出すこともあるし。
たぶん、勉強をしてきた人たちは興味を持って勉強してきてるんだと思う。
勉強しようって促してる人たちってだいたい、日頃から鍼灸に熱いハートを持ってる気がするなあ。
興味を持っていないと、理解力も下がるし、すごい効率が悪い世界になる気がする。
私は熱いハートを持っていないからって劣っているとかじゃなくて、表現の仕方によるものも人によってはあるのかなって。
うーん。私の勉強量は並みだし、、、とか、ただその人が謙虚なだけ。って人も混ざっているでしょう。
いろんなケースの人がいるので何とも言えないけど。
私が言いたかったのは、個人個人で身長の差があるように体重が違い、筋肉力が違い、
色々な面が違うので、
鍼灸の勉強の成熟レベルにも限度?というか、成熟の種類?があるんじゃないかなって思う。
これは多様性で自由のようでもあるけど、
上記に書いた陸上選手の言葉のように、機械的で残酷な感じもある。
人によっては、自分の能力(能力の種類?)によって、戦略を立てたほうがパワーは出るんじゃないか。
↑
ここで書いた努力の方向性だ。
↑
それ系のことを、これにも書いてるんだけど、私より必死になって医学系の奥の奥まで勉強してた同級生が鍼灸免許の国家資格に落ちて、自分自身の学力の低さを把握していたので国家試験対策ばかりをしていたアホの私は(試験受け終えて受かったなって実感があった)受かってしまう。
こんな現実って国家試験以外でもある気がして。
自分のとりあえずの身の程を知ってたほうがいいというか。
そういう戦略もあるというべきか。
みんなが努力だけで金持ち慣れるなら社長になれるなら、みんなが金持ちで社長であるし。
現実はそうでないのはなぜだろう?
「人を雇っている鍼灸師」の努力の方向性の違い
ただ人の言葉尻をどうこう言ってるだけにかもしれないけど、
「人を雇っている鍼灸師」って努力の方向性が違う。勉強の方向性が違うと思う。
人を雇うってなったら、「鍼灸の学習」とは違うことを勉強(意識)しないといけない。
でもこういう人の中には、鍼灸は勉強したやつが上に行くんだ。儲かるんだって言ってる人もいると思う。
若い人だとそれが真実に見えると思う。それがすべてというか。
だから、いろんな医学的なことを学ぶことなんだろうけど。(←これをすることがいっさい悪いことでないからタチが悪い。)
自分の伸びたい方向性によっては、(人によってはというか、60%以上の鍼灸師は人を雇えるくらいの鍼灸院を開業したいなとか、チラッとでも思ったり、希望があるんじゃないだろうか。)勉強することが違うわけで、勉強するにも勉強の種類とか日頃から意識しておくべきことが違ってくるので、結果的に損をさせているんじゃないか?って思てしまう。
人の時間は限られた時間で有限だからである。
火事場泥棒?というか、どさくさにまぎれて、使えるんだけど商品という何かを売りつけているというか??(もっと必要なことを教えてあげて欲しい。というか。)
すぐれている?というのか、売れっ子の鍼灸師?というか、そういう人たちは、治療の知識や医学知識?みたいな学術系以外でも、本人も気づいてないのかもだけど、
なんらかの別の着眼点(努力の方向性、勉強すべきことで注してる方向性)を持ってる気がするなあ。
うまくいってる人たちは勉強の方向性が違うのになぜそれを教えてはくれないのだろうか。
ってそれを教えたら自分のポジションが危ぶまれるからである。
教えている人たち(コンサルティング?セミナー講師?インフルエンサー?先輩?師匠?などなど)は、嘘ではないんだけど、本当のことを言っていないというか。
そういう感覚でいたほうがいい気がする。
例えば、鍼灸師をコーチング?コンサルティングする仕事があったとしたら、その教える側は、「本当においしいのはこの鍼灸師をお客さんにしたコンサルティング業務なんだよな」って思ってるからそれをしてるわけで、鍼灸開業のうんぬんでなく、そっちのおいしさも教えるべきというか?それを口に出すことが「本当に心の底からの親身」というものかなっていうか。
治療施術のセミナーや動画DVD販売してる人は、セミナーや動画DVDがおいしいんですわ。って思ってるから、それをしてるわけで、なぜそれは教えてくれないのかというか口にすらしないのかというか。
結局は、野生動物みたいな。私たちは社会の中の野生の中で生きてることを忘れてはいけないと思う。(何でもかんでもすべてを教えてくれるほど他人は優しくないというか。)
鍼灸業として働いてる人たちは、無意識にも勉強はしてるわけで、
なんちゅーか。伸びない人って変なサイクルにはまってるんちゃうかなって思えてしまう。
見てる方向性?向かってる場所が違うっていうか。
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