私自身の鍼灸院廃業の原因を3つあげてみる<誰か1人位は為になるハズ>

2020年6月19日金曜日

患者さんとの会話の仕方 雑記

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鍼灸業を辞めて思った、自分はどこが悪かったのか?をあげていく

 

過去記事

(理屈としては)慰安レベルの鍼灸技術でも食べていける

 

仕事がない、給料が安いと言っている人はだいたい共通して勉強してない。みたいなツイをみた。

ごもっともですww

私に言ってるわけじゃないけどドキッとした。

 

 

まぁそれは置いておいて、上記過去記事書いていて思ったのは、

過去を振り返ってみると、そこまで腕は悪くないのかもしれないなって、自己肯定するうえでも思った。

そこは置いておいてというべきか。

 

 

鍼灸業から離れて振り返ってみると、

・言葉が足りてなかったなとは思う。

・あと物事に対する治療や患者とか?物事に対する認知の歪み?みたいなものがあるな。(あったな)と思える。

 

 

(1)私の鍼治療でここが足りてなかった「言葉が足りてなかった」

言葉が足りてないなかった。とは、

患者相手に言葉が足りてない、意思疎通や治療の理屈の説明というか、そのほか、おおよそこういう症状はこの程度で取れることが多い?みたいなことも言った方がいいのかもしれない。

相手が理解して治療を受けに続けて通える言葉。こうして治るんだな、この位期間かかりそうなんだな、こういう生活をするといいのか。この症状はなかなか取れないのかもしれないなっていうのを何かうまく伝えることがいったのかもしれないなと。

その中でも一番はやっぱり、ここがこうなっているから、ここに鍼をして、鍼をしたらこういう効果が見込めて、こういう流れで改善していきますよ。ってみたいな言葉だったのかもしれない。

 

日々、鍼の業務をしてると自分が出来る説明すらおろそかになってしまっていたと思う。

 

なおかつ勉強量も少なかったから、言葉が出てこないっていうw

例えば、「でたらめ・嘘・詐欺でもいいから相手を信じ込ませるような言葉でもいいから、こうしたらこう効きますって患者を信じ込ませろ」ってなった時に、それですら言葉が出ないというかw

 

例えば、今いきなりダンスしてみてって言われてもダンスしたことない人は、「?!?!え?」って全然動けないと思う。それ”風”のことすらできない。というか。

 

他の鍼灸師や医療系の人が聞いたら、

「その(治療の)理屈って違うんじゃないか?」って意見が出るようなことでも、自分でそう思っているのならとりあえずこうしてるからこう効いてるんだって理屈をもってないといけないなーって思った。

(こうだからこう効く何てのは、各鍼灸師ごとに意見が分かれることなので、パーフェクトな答えでなくてもいい、というか、患者を納得させらるならそれでいいというか。これもすごいおおざっぱであるが。)

 

でたらめでもいいから理屈を持っておけって事よ。(邪悪)

でたらめを言うにも勉強が必要っていうか。

 

 

なんとなくは、こう効かせているんだってのは分かっていても、言葉にできない状態だったというか、

(こんなことする人は少ないと思うけど、)こういうのはセールス(患者の集客)として、文章に書いて添削してある程度いう言葉を決めておくべきことかもしれない

海外のセールスの本読んだときに、まず文章を書いてそれを知人に読んで納得できるか聞いて、添削して、それを見ないでも自然に言えるように台本を作れってそれを台本見なくても言えるようになれって。

【ざっくり内容】映画『ウルフオブウォールストリート』のモデルとなった人物の営業トーク営業技術の本

いうこと、ある程度テンプレで作ってたほうが楽だろうし。

 

 

 

言葉の重要性を思うようになったのは?より一層気づくようになったのは最近のことだ、

SNSとかツイッターとか普及して思うけど、言葉ってすごい大事だよなって

会話程度の言葉だと伝わり方がホント違ったり、当たり前だと思ってることを端折って言葉に出さないでいると相手が傷ついていたりとか。

 

 

 

(2)私の鍼治療でここが足りてなかった「認知の歪み」

 

いろんな人たちが、たまに白熱した討論みたいにツイッターとかでなるわけだけど、

これって物事認知の歪みも一つの原因だと思うんだ。

 

認知の歪みって言葉の意味あってるか分からないけど、(言葉の使い方間違ってたらすまん)

自分の思い違いみたいなもの。

 

例えば、世間一般であるとすれば、会社の人から「注意」されたことを「怒られた」って思うかどうかってのがあると思う。

ただ業務的にこうしてくれよってことを、

感情的になって怒って言われた。と解釈するというか。

1つの出来事に何か別のことを、ごちゃまぜに考えてしまう感じだったりもするかもしれない。

 

 

私の場合は、鍼灸業での認知の歪み、

ちょっと機嫌の悪そうな人はクレーマー気質なのかなって思えて、施術に気分が乗らない。とかそういったことだと思う。

 

患者さんをいつまでも通わせてしまっている。とか、患者が治らないか治らないかというか、そういう経過を騙しだましやっている感覚っていうか。早く治ったら、ほら言ったとおりでしょ。って感じで、治りが遅い場合とかの場合に、(内心、まだまだ治療としては時間かかりそうだな)って思ってることを、

本来は、何らかの説明をして納得させてとかすべきなんだろうけど、なんか誤魔化して1回でも多く通わせようみたいな感覚になってたというか??

 

この辺もやっぱり言葉の説明にもつながることだと思う。

 

※鍼治療業務に対する認知の歪みは、

他にも思い出せないだけでいろんなことがあると思う。こういうのは自分の生きてきた生活とか学力、経験などが引き出しになってるんだろう。

 

 

(3)私の鍼治療でここが足りてなかった「勉強の方向性・努力の方向性」

どう説明するかってやっぱり勉強にもなるんだけど、

勉強の方向性ってのもあると思う。

 

こういうのってよく自己啓発では「努力の方向性」とか言ったりもする。

 

どんなにやみくもにバットの素振りしててもしょうもないと。ただ腕に筋肉がつくだけ。

何を勉強するかの方向性?何が自分に足りてないのかを知りそれを勉強する?補強する作業をすべきというか。

 

最近、配信?とかで「○○症(○○痛、○○病)の治療の仕方」を配信して講義するのが流行ってるのかな?

先日、ちょうどナンタラカンタらの治療の仕方を〇時から配信します。みたいな、ツイート見たんだけど、

治療法は働いてたら分かるやろ。って?いうのか、

そういうのも見るの必要かもだけど、

ツイート見たときに、”私が”必要なのはこれじゃないよなあってふと思って。

 

 

 

~~~~~~

誰しも、偉い鍼灸師先生の施術公演を見たけど肩透かしの感想を抱いたこともあるはずだ。

あとさ、超暴言なんだけど、

いろんな偉い鍼灸先生の施術の講座とか生でみたりするじゃない。

でもさ、ここの治療はこのツボを使って、鍼をさします。みたいな、

例えば、便秘やったら、腹の周りの便秘のいいツボに鍼と灸してるだけやんwwww

(教科書や本、いまならネットに書いてあるツボですやんwwwwみたいなw)

くらいにしか見えんかったりしてwwww

このツボを使うのかとか、手の挙動とか見て勉強になるものも確かにあるんだけど、

たぶん、いろんな人が思ったことあると思うんだけど、やり方を見てるだけじゃ分からん

(ただ、使うツボとか手順が分かるんだけど、ごくありきたりのことにしか見えないというか。いや、それが必要なんだけど。)

しかもだいたい、偉い人の鍼講義や講座って、健常者が鍼の受ける患者役やってるから、ホントに効いてるのか分からんっていうか。(講演によるとは思うけど)

実技的なものもとりあえず自分でやってみることをさせるネットでないリアルの現場の講座?鍼勉強会の方がいいかもって。

~~~~~~

 

 

 

ある程度の鍼灸勤務経験で、行き詰ってる鍼灸師っていうのは、セールストーク?というか、治療に関するインフォームドコンセント?お互いの意思疎通みたいなものが足りないんだと思う。

(腕なんて?だまって仕事しててもそこそこ技術ついてくるでしょ。っていう暴言)

 

 

その辺のトーク術や言い回しとか、気分を害さなくさせるような接客の言葉遣いや。

坐骨神経痛だったら、この会話のテンプレートが原本としてあるみたいな。テンプレがいるというか。

それを作文で作成する方が大事かなあって、なんとなく思った。

 

 

治療の動画見てもバッド素振りしてるのと変わらないような。

 

そんな気分になったけど、見るのも勉強になるのは確かだ。というか、どこに刺しているかどんな治療をしているかも動画で見るときは大事だと思うけど、

何てその先生は説明しながらその治療を動画でしているかってのが大事かも。

説明が苦手な人は、文字に書きこ起こして、いい作文になるように作り変えてみるのもええかもしれない。

 

 

医学的な勉強も必要だけど、

こういう会話の勉強も努力の方向性として必要だと思った

 

 

同じ事象を説明するにしても、こっちが何かのセールスの説明を聞いたとして、

1、(説明後)ああそうなんだ分かりました。って感想になる人と、(言ってることが分かった)

2、(説明後)なんかこのサービス受けてみたいなって印象になる人とかいるけど(それに興味を持った)

両者が同じくらいの言葉数なのにって時ある気がする。

 

 

人々は無意識に言葉尻を気にするようになっている。年々、言葉で使う、文字や文章も重要視されている。

クレラップのCMの内容のネット記事だったか、

共働きの夫婦の夫が、「僕は手伝いはしない」ってのがキャッチフレーズとなっていて、

「手伝うじゃなくて、やるのが当たり前だから。」

なのだそう。

こういう言葉尻をとらえる事ってネット内では多い気がする。

今って、多くの人が、そういう文化や思考になってるんだと思う。

 

 

言葉で使う文字・文章って昔よりも人々に無意識にも重要視されてしまっていると思う。

 

もう十数年前?から法律の番組とか、ネットでもこれは法としてはどうなのか?とか議論されたりと、

意味や文字として、人は解釈したり納得しようとしたりしている。それによって満足を得ている表れだと思う。

 

 

 

私の若いころは、鍼灸師でもただ治療だけをして余計なことはしゃべらない&患者にもしゃべらせない流行っている鍼灸師がいるって聞いたことあったので、

それが職人だよなって思っちゃったけど、

ただただ治しゃあいいんだみたいな。

今は(前から?)そうはいかない気がするなあ。

 

 

お笑い芸人のようにいつまでも隙間なくペラペラしゃべる必要はないと思うけど、

言葉数は少なくても、

意思疎通として、患者に伝えておくべき言葉はあるかもしれない。

 

 

それが何かは私もわからんけど。

 

 

 

 

そんな感じで。

 






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