以下は全部自分の個人的な意見。
保険鍼灸ってなんか精神を摩耗しますよね?
その精神のかさぶたが少しでもとれたら、30歳過ぎてから私の気付いたことを書いていきます。
同意書を使った保険鍼灸をする鍼灸師・鍼灸院は心苦しいか?
ちょっと変なタイトルだけど、
「同意書を使った保険鍼灸で主に運営している鍼灸師」と
「同意書を使わずに自由診療のみで運営している鍼灸師」。
同意書を医師から書いてもらうこと同意書自身の期限とか管理、正直めんどくさい。
保険鍼灸を使わずに自由診療でやっている鍼灸院の方がすごいってイメージ。
価格が安くなくても客が来るわけであるから、1回施術当たりの利益率も保険鍼灸治療のように値段が決められていないので、お金持ちになれそうではないか。
実際、自由診療の鍼灸院・鍼灸師ってどこか誇らしげで偉そうである。そうして金持ちが多い気がする。(予想)
本心は、作業工程が増えるわけだから人間として、療養費支給申請書とかめんどくさくて書きたくないし、同意書も面倒だと思う。
なかには患者さんが安くで鍼灸治療を利用できるならばと聖なる気持ちで保険鍼灸を導入されている鍼灸師先生もいるとは思う。
中にはなんとなく保険治療を取り入れていることを心苦しく思ってる人もいるのではないか?
これは私だけかもだけど、若いころは、
- 公共のお金を引き出しているみたいでなんだか心苦しい気持ちがしていた。
- あと上にあげたように、自由診療のみの鍼灸院に負けている気持ちにもなる。
- 同意書を書いてもらうことやレセプトを書く・管理がめんどい。
- 鍼灸院が保険鍼灸に依存していたらいつか料金改定の時に詰むのでは?
おおまかにこの4つの理由から保険治療に関してはモヤモヤする点があった。
今回は主に1の理由について書いていこうと思う。
(2以降を書くは分からん。)
1、公共のお金を引き出しているみたいでなんだか心苦しい気持ちがしていた。
私はどういうわけか保険鍼灸に関してはなんだか、だるく後ろめたく、思っていたことがあった。世間には不正もいるし、(私の若かった当時)もともとは自由診療が中心だった鍼灸業界が保険治療を使ったら、安さ競争?というのか、価格のバランスが大幅に崩れて、今までの自由診療の鍼灸は何だったのか?とか、利用者に混乱を招く気もした。
心苦しさの背景には、医師に「同意書かいて下さいお願いします。ペコペコペコ」といったオーラを間接的にも放たなければならない状況でもある。(聖なる鍼灸師の人たちは、そうじゃない。医療として同等の立場?でウンヌンとかきれいな言葉があるかもしれない。)
心理的マウントとられたら人って精神やられるじゃないの。そういう感じ慢性的にしてたら心すさんでくるというか。だぶん多くの保険治療の鍼灸師があると思う。
職には優劣はないんだよと聖なるご意見もあるかもしれない。
まぁ、聖なる医療人の聖なる言葉考えは置いておいてですね。。(常識的にきれいに言おうと思えばいくらでも言えるのだけど、訴えの軸がズレそう・ボやけそうなので。世間的には、なんか歪んだものの伝え方になってるかもですが。)
まぁそこはいいのだけど、今回私の言いたかったことを書ていきます。
急に話は変わるかもだけど、
公共のお金を引き出しているのは、鍼灸師(鍼灸院)だけではないってことです。
それは、病院がまず昔からそうであるし、
整骨院、鍼灸院。
あとはデイケアや訪問介護や介護施設とかもそう。それにたずさわる、ケアマネやそこの施設長、介護士、看護師、中には、資格を持っておらず介護施設で働かれてる人もいるであろうし、その施設での清掃業務を主としてる人もいるであろう。
こういう人たちも、各種保険から引き出してきたお金(収益)で生活が出来ているわけだ。
ここまではなんとなく想像がつく、
一時期、建設事業関係のとこにお世話になっていたことがるんだけど、
他にも建設業は、公共建設事業をセリ?競売?で入札していて、その公共事業のセリも年間けっこう何回も行われている。
ほぼ、公共事業関係で田舎町の建設業って成り立っているんだなって気がした。そのぐらいの量と金額の入札が行われているようだった。
ちなみに、セリと言っても安ければいいってものでなく、ある程度の適正価格から選別されるようになってるようだった。確かにそうでないと、べらぼうに安くして安く仕上げてとかこういうのがまん延したりして道路陥没ってなったらい大変だ。なので、入札価格は、高すぎてもダメだし安すぎてもダメとなってるようでした。アウトとなっているが、
(ちなみに、今、芸人の闇営業とかで黒い交際はアウトとなっているが、建設業と言ったらなんとなくいかつく、そっち系もいそうに思えるけど、そういう黒い交際があると・発覚すると、セリに参加する権利をずっとか分からないけど、はく奪される。反社会の人は排除という形がとられている。)
聞いたは話によると、田舎町のぼろいバイク屋ああいうところも、現在では公共とは少しずれるけど郵便局の専属のバイク修理を任されているところもあって定額で50万円とか収益が約束されているってところもあるんだと。(現在ではそういうのあるか分からないけど)
街の小さな文房具屋もいわゆる学校専属となっていて、小さくひっそりたたずむ客の来ない田舎町の文具店が年収1000万円!なんてのも昔TVでしていた。実際、同級生にそういう文具店の子供がいたが多分、裕福だったと思う。これも公共的なお金に近い気がする。
それに似た感じで、スポーツ店がボールやスポーツ用品を学校におろすってのもある。田舎町の誰も入らんやろって小さなスポーツ用品店。そういうところは学校がらみの収益で運営してる可能性は高い。学校にそういう家の家庭の子もいた。
その学校のエリアに文具屋さんとかスポーツ用品店があったら、そこからは注しないといけない。とかなんか決まりがあるんだろうね。
それにともない、学校専属のような街の小さなカメラ屋とかも、卒業写真や何かあるときには、撮影に来てる田舎の小さなカメラ屋さんとか小学校などの時にいなかっただろうか?ああいうのも多分あるていどの御用達や入札などがあるんじゃないのかな?と今になって思う。
土地家屋調査士も協会に入っていればだったか、県からの仕事とかが安定的に割り振られるシステムがあるとかないとか聞いたことがある。
電気の修理や電気設備のうんぬんとかもそういうのありそうだし。電線の事業自体がほぼ準公務員的ですよね。
あとモロなのは市役所などの公務員、警察官、消防、教師、市議会議員、県議会議員みたいな議員etc
他にも気づかない業種の事がたくさんあるんじゃないかと思う。
そう考えると案外?というのか、かなり多くの人が、というのかほとんどの人が?、公共(または準公共というか)のお金から自分の収入を得ていることになる。
または、間接的な潤いのある人もいる、それらの人から、購入してもらったりとか、
例えば、県庁近くで定食屋さんしてるおばあさんがいたけど、県庁の移動する前?か何かの時はかなり繁盛していて、来るのはその公務員の方が主。老後までに4000~5000万円貯金をためたといってた。
なにも生活保護の人たちだけが公共のお金で生活してるわけではないのだ。
こういう感じの事を30歳過ぎてから知り。
案外みんな、保険金?や税金?で生活が成り立っている人がほとんどなんだなって思わされた。
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